徳川家康に聞いてみたい!

 この時期、信長の唯一の味方は家臣団を除けば、徳川家康だけである。
 武田信玄の圧力を受けつつ、彼は何故、信長に味方し続けたのだろうか?
 律儀だったから?

 家康とて戦国大名である。
 『生き残り』を考えて当然だ。武田と同盟し、信長の背後を襲えば、尾張・美濃は簡単に手に入ったであろう。
 しかし、それをしなかった。
 ただ、信長のために武田の防波堤となり、要請されれば必ず援軍を率いて行った。

 家康、不可解!

 信長の理想に共感した?
 武田と北条と信長を天秤にかけて、信長が強いと判断した?

 何か納得する理由が欲しい。
 自分の器量で、偉人の器量を推し量ること自体、無理があるのだが・・・。

 「何故、あなたは信長にずっと協力的だったのですか?」
 聞いてみたいものである。

比叡山包囲   信長は苛立つ

 浅井・朝倉連合軍南下の報を受けた信長は、摂津を撤退し、9月24日には坂本に布陣した。
 弟と忠臣を喪った悲しみと怒りを胸に秘めての進軍である。更に、両守将の見事な死に様が全軍の士気を高めていた。こういう報復の念に燃えた軍勢と戦うのは得策ではない。
 連合軍は織田軍の鋭鋒をかわすため延暦寺を本陣とし、各所に砦を築き、比叡山に立てこもってのである。
 多少の小競り合いがあり、信長は宇佐山城を本陣とした。そして、全軍で比叡山を包囲したのである。

 朝倉家は延暦寺の檀家であり、交流は深く長い。
 さらに信長の支配によって延暦寺の寺領は減り、関所の撤廃、楽市で寺の収入は激減していた。信長と敵対する理由は宴楽時には十分あった。
 信長にとって延暦寺の敵対は想定外である。自分の施策の影響力を見誤っていたのであろう。故に、信長は延暦寺に対して威嚇をするのだ。
「もし、信長に味方するなら、山門の寺領を十倍にする。だが、数年来の浅井・朝倉との因縁でそれができないのなら中立になれ。それでも当方の申し出を断るならば、根本中堂をはじめ、山王二十一社全てを焼き払い、僧徒を一人残らず殺す!」

 随分と乱暴な話である。
 延暦寺はこの申し出を拒否。
 現在の情勢は信長に圧倒的に不利である。信長が倒れればこれまで通り自分達の権益を守ることができる。
 この時点で信長が巻き返せると判断できる材料はどこにもない。

 信長は延暦寺の通告拒否に激怒したが、連合軍が籠もっており手出しはできない。力攻めはリスクが大きすぎるのである。また、撤兵は背後からの攻撃を受け全滅の危険がありできない。
 包囲しておくしかない状況である。

 膠着状態が続く。
 
 信長は現状打開のために、朝倉義景に対してしょじょうで決戦を申し入れるが、無視される。
 そして11月21日 伊勢長島の一向一揆衆が『安全地帯である尾張』の小木江城を攻めた。無論、本願寺の指令である。信長の弟、信興はこのとき自害した。

 信長のもとにこの知らせが届いたが・・・・何もできない。
 信長の苛立ちは募るばかりである。

雄弁な死

 「浅井・朝倉軍三万人で南下。宇佐山城攻撃に向かう。」

 比叡山延暦寺の僧日承は、本願寺の決起を知り、織田軍挟撃のチャンスと浅井に知らせたのである。無論、本願寺からも浅井に出動の要請は届いていただろう。

 浅井・朝倉軍は、湖西を通り、京への進撃を開始した。
 この道筋には、宇佐山城があり、1000名ほどの兵を率いた織田信治、森可成が守将であった。
 浅井・朝倉軍は、坂本に布陣した。その兵力は城兵の30倍である。

 ここで、守将としての選択肢は、常識的には以下の三点である。
 1.城を捨てて、京へ向かい、他の軍勢と合流する
 2.城を明け渡し、降伏する。
 3.籠城し、援軍を待つ。

 しかし、彼らは、別の道を選んだ。
 9月16日 両守将は坂本の町外れまで進軍し、先制攻撃を仕掛けたのである。いくつかの頸を挙げ、気勢を上げたのである。浅井・朝倉軍は驚いたに違いない。これほどの大軍に対して、先制攻撃を仕掛けるという「玉砕」に近い戦いをする軍勢をはじめて見たであろうから。
 9月19日 再び両守将は打って出た。しかし、両守将は討死、多くの者も次々に討ち取られていった。
 浅井・朝倉軍は、そのまま宇佐山城を攻めたが、留守を託された武藤五郎右衛門と肥田彦左衛門が必死で抵抗し、結局、信長到着まで持ちこたえたのである。宇佐山城は要害の地に立つ堅固な城である。

 最初から籠城していれば死なずに済んだかもしれない。
 彼らは何故、結果が見えている絶望的な戦いを始めたのか?

 結果論だが、24日に信長は坂本に到着しているし、実際に、城は持ちこたえているのだ。

 しかし、彼らの死は雄弁である。
「士は己を知るもののために死す」と道家兄弟の死が語る。
「兄弟して頸三つ取りて参り、信長公の御目にかけ候へば、御褒美斜めならず。白きはたを指し物に仕り候。其の旗をめしよせられ、天下一の勇者なりと御自筆に遊ばしつけられ候て下さる。都鄙の面目これに過ぐべからず。名誉の仁にて候なり。」(『公記』)

 そして秋山駿氏は言う。
「私は、森可成をモデルに、次の様な言葉を孤軍奮闘の信長軍に贈りたかった。」
氏は、トゥキディデスの『戦史』を引用する。
「この戦に勝つか負けるかは全く違った意味を持つことを諸君に自覚してもらいたかった。(中略)
 己れの満足よりも敵に対する報復を恋い求め、これこそ万死に値すり最高の美と確信して、死を覚悟で敵を討ち、至高の祈願を全うすることを決意した。そしてさだかならぬ勝敗の運命を希望に託し、目前に迫る敵戦列に対してすべてを己が槍と盾に託すことを潔しとした。危険のさなかに残っては、命の限り立ち尽くすことこそ、退いて身を守るより貴しと信じて、彼らは来たるべきものを生命でうけとめ、己が名を卑怯のそしりから守った。」

 これが織田軍の強さの秘密であろう。膂力の強さではなく、精神の強さ、結束の強さである。
 織田信長と言う男が将兵にとってどういう将であったか、この戦いが物語るのだ。
 私は、この戦いは目立たないが、織田信長を語る上ではずせない重要な戦いと観ている。

『死』を考えた。
中学1年生の盲腸以来の入院である。
かなりナーバスかつ悲観的になっていた。

入院というのは退屈である。
『眠られぬ夜のために』(カール=ヒルティ)を読み、『ツアラツストラハかく語りき』(ニーチェ)を読んだ。もうボロボロの本だ。書き込みが一杯してあって、手放せない愛読書である。
どちらも聖書がないと面白さがわからない。
で、聖書も読んでみた。新約聖書である。
西洋哲学は、聖書との対決の過程で生まれてきた。
イエス=キリストの言葉の美しさ、力強さに励まされる。
イエスは、その後の世界を想像したであろうか?
聖書が侵略に利用されたことを。

『親鸞の心』(梅原猛)を読んだ。
親鸞という、真摯で、正直な宗教者が生み出した浄土真宗。
親鸞は、その後の世界を想像し得たであろうか?
巨大な教団になり、天下を左右できる力を得て、実際に戦ったことを。

偉大な思想が作り出したのは、教義と戦いの為の論拠。
宗教と権力が結びついた時、悲劇が起きたと歴史は語る。

一向門徒宗を死に向かわせた本願寺。
信長は戦う気はなかった。
しかし、売られたけんかを買わねば『天下布武』は成し得ないのである。
そこから、多くの悲劇が生まれた。

親鸞はただ阿弥陀如来の本願にすべてを任せ生きよ、と精神的支柱を明らかにしただけだった。
信長は、武装解除が目的だった。
なのに11年間も戦いが続き、多くの人命が失われた。

この戦いは無意味であった。
宗教家は、自分の分を知り、武器を手放せばよかったのだ。
日本における最後の宗教に関する戦争である。

本願寺決起の理由

 何故、本願寺は織田軍に攻撃を仕掛けたのか?
 本願寺の言い分はこうだ。
 【信長が本願寺を破却すると宣告してきたので自衛の為の攻撃だ】
 
 ふむ。
 では何故、「信長方仰天」なのか?
 理由は簡単だ。不意打ちだからである。
 つまり、信長はそのような宣告をして本願寺を敵に回していなかったのだ。
 
 神田千里氏の言葉を借りて表現しよう。(引用は『一向一揆と戦国社会』)
 「本願寺に『破却すべき由』を既に通告していた信長が、何故本願寺からの至近距離で、しかも戦闘中に不意打ちをうけるだろうか。もし『破却すべき由』の通告が事実と仮定した場合、信長の行動は明らかに矛盾に満ちている。
 宣戦布告した敵から至近距離で不意打ちをうけるとは、軍事の天才織田信長にありがちなミスであろうか。
この点からみて、本願寺の言い分を事実と考えるのは躊躇される。」

 この見解には全く同感である。
 
 しかし、本願寺の立場から考えてみると・・・。
 信長が分国内で推進している施策、特にキリスト教への好意と保護に対して、本願寺は将来的な不安と危惧を抱いたに違いない。信長がこのまま天下を統一するようなことになれば、本願寺や、他の仏教勢力は抑圧され、あるいは武力によって解体させられるかも・・・という【思い込み】は生じるだろう。
 
 顕如は、信長による仏教勢力、特に一向宗の弾圧が将来、必ず起きるという不確実だが、可能性が高いという予想=思い込みを基に『自衛』と称し、諸国の門徒に『打倒信長』の檄文を飛ばしたのではないか?

 これがこの後11年間に亘る「石山合戦」の始まりであろう。

 信長の戦争と制圧の予定は、大きく修正させられた。
 本願寺はあまりに巨大な敵である。

 そこに更に追い討ちをかける知らせが届くのである。
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Author:なおまゆ
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